坂道の学生を見ながら、私は立ち止まっていた

食べることと、わたしのこと

入院することにはなったものの、紹介された病院では特に治療が行われるわけでもなく、ただ日々が過ぎていった。
治療といえば、点滴を打ち、食道にできた潰瘍が自然に治るのを待つ——それだけだった。

しかし、潰瘍は一向に良くならず、体調も改善しなかった。
食事の量は次第に減り、点滴だけで命をつないでいた私は、どんどん痩せていった。

入院中、学校の友達が見舞いに来てくれた。
私の姿を見た友達は、思った以上に痩せ細った私に驚いたようだった。

後から聞いた話だが、入院してからの3週間、両親はこの病院の方針に疑問を感じ、何度も医師と話し合いを重ねていたらしい。
紹介してくれた先生も、治療が始まらないことに憤りを感じていたという。
そしてようやく、別の病院への転院が決まった。


転院先の病院でも、最初に行われたのは潰瘍の治療だった。
点滴を静脈に刺し、食事は一切とらずに高カロリーの点滴だけで栄養を補った。

そのおかげか、体重はかろうじて維持され、空腹感も感じにくくなった。
“食べる”という行為から一時的に解放された私は、少しだけ心が軽くなった気がした。
憂鬱だった「食事」に対する感覚が薄れたのは、この時期の唯一の救いだったかもしれない。


その間も、様々な検査が行われた。
というのも、「なぜ私の食道に潰瘍ができるのか」という原因がまったくわからなかったからだ。

医師たちはまず膠原病を疑い、次にクローン病という難病の可能性も考えた。
けれど、どの検査もはっきりとした異常は見つからなかった。

しかも、潰瘍はやはり治らない。治療が進まないまま、時間だけが過ぎていった。


病室の窓辺から見える坂道を、自転車に乗った学生たちが駆け上がっていく。
その何気ない日常の風景が、私の胸を締めつけた。

当たり前に見えていたあの景色。
「めんどくさい」と思っていたことや、「嫌だな」と感じていた学校生活が、今ではとても幸せなことだったのだと気づいた。


そして、私はよく夢を見るようになった。

ガラスで囲まれた部屋の中、私はひとりきりで座っている。
その外側を、人々が通り過ぎていく——誰も、私に気づかない。

誰も声をかけてくれない。私はそこに“いない”ような感覚だった。


焦る気持ちもあった。
早く学校に戻らなきゃ、復学しなければ——留年してしまう。
そんな焦りばかりが頭の中をぐるぐるしていた。

けれど、その頃、両親がいろいろな選択肢を話してくれた。
復学だけじゃなく、夜間学校という道もある。
「1つの選択肢だけじゃなくていい」
その言葉に、私は少しずつ肩の力を抜けるようになっていった。

そしてようやく、“まずは自分の体を治そう”と思えるようになった。
焦る気持ちは消えて、心は少しずつ穏やかになっていった。


そんな頃、担当の先生から「アザプチン(アザルフィジン)」という薬を飲んでみようという提案があった。

飲み始めて間もなく、潰瘍がみるみるうちに改善していった。
それが薬のおかげだったのか、気持ちの変化だったのかはわからない。

でも私は思う。
“治したい”ではなく、“ちゃんと向き合おう”と思えたその心の変化が、私の体に作用したのではないかと。


そして、アザプチンが効いたことで、ひとつの病名が浮かび上がった。

ベーチェット病——
皮膚や粘膜、血管などに炎症が起こる、自己免疫性の難病だった。

食道狭窄もベーチェット病の一部とされ、私の病名が正式に診断された。


病名がついたことで、まわりが少しざわついた。
「この病気は目にも炎症が起きて、視覚障害を引き起こすことがある」
——医師の説明に、母は大きなショックを受けていた。

後から聞いた話だが、母は病院の帰り道、ひとりで泣いていたという。


一方の私はというと、不思議とあまり気にしていなかった。
「とにかく、治療ができる」
それが唯一の希望だった。

私はアザプチンを飲み続けながら、
ついにバルーン治療を受けることになった。

「もう一度、食べるために」
私はようやく治療を受け入れ、前に進む準備を始めた。

そのときの私は、薬を飲んで、病名を受け入れて、
体と向き合っていくしかないんだと思っていた。

少しずつ、希望が戻ってくるのを感じていたし、
この道を進めば、大丈夫だと、自然に思っていた。

——でも、検査では何も異常は見つからなかった。

私の中に、あるひとつの想いが静かに芽生えていた。
「薬を飲むことで、本当にこの病気を“自分のものにしてしまう気がする」

それがすべてではないと、
私は少しずつ、感じ始めていたのかもしれない。

次回は、『食べる』を取り戻していく過程と、
私が選んだ、『自分の体との向き合い方』について綴ってみたいと思う。

食べることと、わたしのこと
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この記事を書いた人
kou

高校時代に食道に潰瘍ができ、食道狭窄となった経験があります。治療を受けましたが、食道は完全には元に戻りませんでした。現在は、食べ物を詰まらせないように注意深く噛んで食べる必要があります。この経験を通じて、食べる喜びと健康の大切さを深く理解しました。そんな私が皆さんと一緒に健康的な生活を送るための情報を共有する『ナチュラルヘルスカフェ』を運営しています。

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